Japan Now 2 地球のつながり方 旅の本編
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Tourism - Japanese expat communication on abroad
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クルーガー/リビングストン線の就航を歓迎 BS日テレ - 「世界探訪!空港物語 〜WONDER AIRPORTやしま・ミチコの空辞苑〜」

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「世界探訪!空港物語 〜WONDER AIRPORTやしま・ミチコの空辞苑〜」の番組ページです。番組情報、プレゼント情報を掲載。...  

 

 http://www.south-africa.jp/news/?id=00000065 

 

クルーガー/リビングストン線の就航を歓迎
2009年06月18日

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南アフリカ観光局は、南部アフリカ25都市以上を結ぶ航空会社エアリンク(www.saairlink.co.za)が、クルーガー国立公園の最寄りに位置するクルーガー・ムプマランガ国際空港(MQP)と隣国ザンビアのリビングストン空港(LVI)を結ぶ路線で直行便を運航開始するという発表を受け、歓迎の意を表した。

2009年8月17日に運航開始されるクルーガー/リビングストン線は、月・水・金曜の週3便態勢となり、今後も利用状況を見て増便する予定。使用機材は29人乗りジェット機(Jetstream 4100)。フライトスケジュールは、往路便がネルスプロイト11時55分発、リビングストン13時50分着(便名:SA 8870)で、復路便はリビングストン14時20分発、ネルスプロイト16時45分着(便名:SA 8871)となる。

従来のヨハネスブルグ(O.R.タンボ国際空港)経由便に加え、直行便が運航されることにより、クルーガーとザンビアの接続利便性が高まると同時に、南部アフリカツアー周遊の旅に豊富な選択肢がもたらされる。その一例として、クルーガー国立公園でモーニング・サファリ、朝食後にザンビアへ移動、同日夜にザンベジ川でのサンセット・クルーズといった旅程や、逆パターンではビクトリアの滝散策、朝食、アクティビティ後、クルーガーへ移動、同日夜にナイトサファリ、ボマディナーといった旅程を組むことが可能となる。

南アフリカ観光局ブラッドリー・ブラウワー日本地区代表は「南部アフリカツアーのなかでも日本人旅行者に人気の高い観光スポット、クルーガー国立公園とビクトリアの滝を周遊するのに便利な直行便が運航開始されることをとても嬉しく思う」とコメントした。

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クロアチア・ドゥブロブニクのホテル180

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地名: Dubrovnik(ドブロヴニク)。1918年までの通称は Ragusa(ラグザ)。

地名: Dubrovnik(ドブロヴニク)。1918年までの通称は Ragusa(ラグザ)。 | Japan Now 2  地球のつながり方 旅の本編 | Scoop.it

地名: Dubrovnik(ドブロヴニク)。1918年までの通称は Ragusa(ラグザ)。現在には町の美しいあだ名は アドリア海の真珠だ。「Dubrova」というのはスラブ語の言葉で、その意味は「林苑」だ。ドブロヴニクは昔から町のスラブ人の地区の地名であった。「ラグザ」というイタリア語の地名は多分元々町の前にある島の上にあった部落の名前だった。
位置: クロアチアの首都→ザグレブまでの直接距離は約400キロだ。しかし途中には →ボスニア・ヘルツェゴヴィナの領域があるので、道路または列車で距離は700キロぐらいになる。ドブロヴニクはクロアチアの一番南の都市だといえ、アドリア海の浜辺にある。町の前方には Lokrum(ロクルム)という小島がある。それ以外は近い周辺に島があまりない。ドブロヴニクの北方に広がっている山脈の後ろはボスニアとの国境になっている。約40キロ南東へ行くと、クロアチアの南端がある。そこには→新ユーゴへの国境通過点がある。
人口: ドブロヴニクの人口は44,000人だけで、小町だと言ってもよいだろう。人口の大部分は旧市街以外の地区に住んでいる。町は山と海に囲まれているので現在より拡張することは無理だ。

ドブロヴニクの旧市街全体
ドブロヴニクの旧市街全体

町の姿: ドブロヴニクの旧市街は本当にはっきり他の地区から分かれている。それはヨーロッパで普通だったが、現在までこういうふうに残っているのはめったに見えない。観光客の目的地 Stari Grad(旧市街)は町の東方にあり、小さい半島を占めている。その半島の東岸には小さい港もある。町の北方には Srđ(スルジ)という難しい名前の山があり、標高は400メートルを超えている。旧市街は高くてギャップが全くない外壁に囲まれている。その外壁の上に町全体の周囲をぐるっと回ることができる。旧市街には新しい建物が全くなくて横町は狭いので、車は入れない。旧市街を東から西へ横断するメイン・ロードは Ulica od Placa(プラツァ通り)と呼ばれて、通称はただプラツァだ。ドブロヴニクの新市街は西へ2キロぐらい離れていて、Lapad(ラパド)半島 に亘っている。ラパド半島と大陸の間には狭い Luka Gruž(グルーシュ港))とフェリー乗り場がある。すぐ近くにはバス・ターミナルがある。新市街と旧市街の間に無数のシャトル・バスがある。しかし両方の地区を結んでいる道路沿いのビラなどの建物も綺麗なので、一回新市街から旧市街へ歩くのはお勧めだ。途中でビーチもある。旧市街全体は1979年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

歴史: ギリシア人の避難者は7世紀に半島の上に小さい部落を創設した。そのギリシア人は Epidaurus(エピダウルス)という古都から逃げてきて、ビザンチン帝国の保護を受けた。部落の名前はラグサで、二つの部分に分かれた町だった。二つの地区の間には現プラツァ沿いの運河があった。ギリシア人とローマ人は運河の南方という島であった地区に住んでいて、スラブ人の地区は運河の北方沿いに広がっていた。
十字軍の遠征のとき、ラグサはベネチアの領域になった。それは1358年まで続いた。その時代にはラグサは大切な港と商業の町になった。1358年以来、ラグサはハンガリー・クロアチア王国の都市になった(参照:→クロアチアの歴史)。しかしラグサはすぐ自治都市という地位を受けてラグサ都市国家になった。その国家の黄金時代は15~16世紀だった。現在にもその時代に作られた建物が多い。だが1667年に激震は町を部分的に崩壊してしまった。ラグサいわゆるドブロヴニク都市国家は1808年まで独立であった。ナポレオンはダルマチア全体を占領した2年後、その特別な地位は破毀された。ナポレオンの敗北の後、ドブロヴニクはハプスブルク家のオーストリアの都市になって、1918年までオーストリア・ハンガリー帝国の支配を受けた。その後、ドブロヴニクはクロアチアの町になって、それ以来の発展の過程はクロアチアの発展と同じだった。
1991~2年にクロアチアは独立を宣言した。従ってドブロヴニクは8ヶ月間 JNA(ユーゴ人民軍)に包囲されてしまった。その軍隊は北方の山を基地にして、そしてモンテネグロから前進した。その為、現在には市民たちはモンテネグロを嫌がっている。JNA は遠慮せず新市街ばかりではなくて旧市街も砲撃してしまった。そのせいで旧市街は大規模に榴弾による損害を受けた。それは現在まで大体修理されたが、旧市街の屋根を見ると、何の建物が命中されたということをすぐわかる。その上、戦争による損害は完全に修復され、観光客は戦前と同様にどやどや入ってくる。

往路: 鉄道線がないので飛行機、船、バスと車しかない。ドブロヴニクの国際空港は東南へ25キロぐらい離れていて、Cilipi(ツィリピ)という町に近い。中心へのシャトル・バスがある。グルーシュ港からは沿岸の各地へ Jadrolinija(ヤドロリニヤ)というフェリーがある。それは様々な島を含めている。それに加えて、夏には Bari(バリ)などのイタリアの大都市へのフェリーも運航している。
列車がないので当然ながらバスが多い。一つのバスはモンテネグロへの国境まで走っている。モンテネグロ側には Igalo(イガロ)、Herceg-Novi(ヘルツェグ・ノビ)、そして→Kotor(コトル)と Bar(バー)行きバスが待っている。コトルまでの運賃は71.50クーナだ。しかし午後にドブロヴニクに戻るバスがないのでヒッチハイクしかない(ご注意:モンテネグロにはビザが不要で、勝手に入国することができる)。他にはボスニアの →Mostar(モスタル)と→Sarajevo(サラエボ)行き直行のバスがあるが、切符は予約できないので、特に夏に素早く満席になるおそれがある。他のボスニアへの行き方は次のようだ:バスでアドリア海に面している Ploče(プロチェ)まで行って、そこから列車で国境まで進む。プロチェまでの運賃は56.20クーナ。→Split(スプリット)行きバスは94クーナかかる。荷物は別料金になる。
市内のバスの料金は7クーナだ。切符はバスの中で買うとやや高くなるのでキオスクで買ったほうがよい。

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ルーベンスの足跡を訪ねて

ルーベンスの足跡を訪ねて | Japan Now 2  地球のつながり方 旅の本編 | Scoop.it
ベルギー・フランダース政府観光局オフィシャルニュースレターです。...   

 

ベルギーが生んだバロック絵画の巨匠ルーベンスは10歳の時に両親の出身地アントワープに移り住み、その後イタリアで活躍。1608年アントワープに戻り、亡くなるまで現在博物館となっている「ルーベンスの家」に住みました。外交官としても活躍した彼の家には、多くの貴族や芸術家が集ったといわれています。もちろん、画家としてもルーベンスの人気は高く、その工房は多くの作品を生み出しました。アントワープゆかりの画家ルーベンスの足跡を訪ねてみませんか。

アントワープでルーベンスの足跡を訪ねる1日

グルン広場
中央には1843年に造られたルーベンスの像が立っています。

↓(徒歩1分)

聖母大聖堂
堂内には「キリストの昇架」、「キリスト降架」、「聖母被昇天」、など、ルーベンスの数々の傑作があります。名作「フランダースの犬」に登場することでも知られています。

↓(徒歩7分)

聖パウロ教会Sint-Pauluskerk
堂内には、ルーベンスの作品3点のほか、ファン・ダイク、ヨルダーンス、フランク、デ・ヴォス、フェルブルッヘンらのバロック絵画作品50点以上や彫像200点以上があります。

↓(徒歩5分)

聖カロルス・ボロメウス教会Sint-Carolus Borromeuskerk
17世紀のイエズス会の教会は、ファサードの装飾などルーベンスがデザインしたものと言われています。

↓(徒歩3分)

ロコックスの家 Rockox House
ルーベンスの友人で庇護者だった17世紀のアントワープ市長ニコラス・ロコックスが住んだ邸宅で、ルーベンスやファン・ダイク、ヨルダーンス、テニエ、ブリューゲル、マサイスなどの絵画作品があります。

↓(徒歩7分)

聖ヤコブ教会Sint-Jacobskerk
堂内には1643年建造のルーベンス礼拝堂があり、ルーベンスが埋葬されています。ルーベンスが死の6年前に仕上げた祭壇画の聖母には第2の妻ヘレナ・フルマンの面影が、聖ゲオルクにはルーベンス本人の面影があるといわれています。

↓(徒歩7分)

ルーベンスの家 Rubenshuis
ルーベンスが1610年から没するまで29年間住んだ住所兼アトリエ。中庭とフランドル・イタリアルネサンス様式の外庭にはさまれたバロック様式の柱廊は彼自身の設計です。ルーベンスの自画像などの作品があります。

↓(徒歩12分)

プランタン・モレトゥス印刷博物館 Museum Plantin-Moretus
世界遺産に登録されている世界初の印刷・出版所で、世界最古の印刷機、活版印刷道具などがあります。 ルーベンスは印刷業者プランタンと交流があり、ルーベンスの描いた肖像画や初期の素描画が残っています。

↓(タクシーで5分)

MAS
MASは2011年が5月に開館した海洋博物館、民俗博物館などを併せたコレクションを持つユニークな博物館。2012年末まで特別展として、改装工事中のアントワープ王立美術館などに所蔵されているルーベンスの作品が「MASのマスターピース展」として展示されています。

アントワープで宿泊
翌日、アントワープから足を延ばして

●メッヘレン(アントワープから26km)
聖ヤン教会は、ルーベンスの3連祭壇画「3博士の参拝」で知られています。

●ブリュッセル(アントワープから54km)
王立美術館には、「東方三賢王の礼拝」などルーベンスの大作が展示されています。

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地球つながり ソーシャルメディア研究所 | Tikyu Tunagari | Scoop.it

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Dubrovnik ドゥブロブニクはクロアチアの街でアドリア海に面した街だ。

Dubrovnik ドゥブロブニクはクロアチアの街でアドリア海に面した街だ。 | Japan Now 2  地球のつながり方 旅の本編 | Scoop.it

ドゥブロブニクはクロアチアの街でアドリア海に面した街だ。クロアチアのずっと南、途中、ボスニア・ヘルツェゴビナ領が少しだけアドリア海に突き出しているため、クロアチアの飛び地になる。交通の要衝であり14世紀から貿易都市、自治都市として栄え、1971年には世界遺産に登録されたが、1990年代前半の旧ユーゴ紛争の中で昔からの街並みはかなりの部分が破壊された。しかし、その後急速に再建が進み1994年には再び世界遺産に登録されている。

旧市街は、再建されたものとはいえ、実に美しい。周囲わずか2キロ程度しかないが、街の周りをぐるりと城壁が囲み、その半分くらいはアドリア海に面している。この街が古くから"アドリア海の真珠"と呼ばれてきたのも分かる気がする。ちなみにこの城壁の上をぐるりと歩くことができ、そこから見る赤い屋根が並ぶ旧市街の景観、旧市街を飛び交う岩ツバメ、青い海は何ともいえない。宮崎駿のアニメで昔"魔女の宅急便"という映画があったが、あの映画の舞台となった街のモデルは、このドゥブロブニクだそうだ。

旧市街もいいが、周囲には小島が点在しており、舟に乗ってそこへ出かけるのもいい。アドリア海の海は、このあたりでは実にきれいで透き通っている。中にはヌーディストビーチがある島もある。ただ、海水浴場に関しては、日本人がイメージするような白い砂浜が大きく広がるビーチというのはなく、基本的に近くまで山が迫ってきているため、あまり広くない小石のビーチという感じだ。

ドゥブロブニクは、日本ではまだ知る人ぞ知る、という感じかもしれないが、ヨーロッパではかなり有名な観光地だ。僕が行ったときも、イギリスやドイツ、ノルウェイなどから大勢の観光客が来ていたし、空港にはアメリカの登録番号のビジネスジェットが何機も駐機していたが、パリなどの西欧とは違い、日本人、というかアジア人の姿は僕たち以外はほとんど見かけなかった。また、ドゥブロブニクに限らず、クロアチアはヨーロッパの観光地だ。日本では旧ユーゴスラビアというと紛争のイメージを持っている人もいまだにいるかもしれないが、今は全くそんなことはなく、普通に安全だ。前にこのHPでも載せたプリトヴィッツェは段差のある十数の湖の間を流れ落ちる大小さまざな滝がとても美しく神秘的だし、スプリットという古代遺跡が残っている都市もある。パリやロンドン、ローマなどの西欧の大都市やその周辺を観光するのももちろん悪くはないが、そろそろこうした隠れた名所に目を向けてもいい頃ではないかと思う。

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ドゥブロヴニク - Wikipedia

ドゥブロヴニク - Wikipedia | Japan Now 2  地球のつながり方 旅の本編 | Scoop.it

ドブロヴニク(クロアチア語:Dubrovnik, イタリア語:Ragusa, ラテン語:Ragusium)は、クロアチア、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市及び基礎自治体で、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の郡都である。ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港であるネウムが回廊状態で分断しているため、クロアチア本土とは陸続きではない(→飛び地)。

「アドリア海の真珠」とうたわれる美しい町並みを誇り、1979年に世界遺産に登録されアドリア海沿岸でも傑出した観光地で港もあり、ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市である。人口は2001年に行われた国勢調査で43,770人[1]であった。クロアチア紛争以前の1991年に行われた国勢調査では49,728人[2] である。そのうち、約30,000人はドゥブロヴニク市街に居住しクロアチア人は住民の88.39%を占めている。

ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、アドリア海東側では唯一のライバルである都市国家はヴェネチア共和国だけであった。巧みな外交術と豊富な富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに特筆するほど発展している。1970年代、恒久的に戦争による破壊から守るために非武装化されたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。

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#31 アドリア海沿岸 蒼の道 クロアチア BS-TBS 地球バス紀行

#31 アドリア海沿岸 蒼の道 クロアチア BS-TBS 地球バス紀行 | Japan Now 2  地球のつながり方 旅の本編 | Scoop.it

2011年11月1日 O.A.
#31 アドリア海沿岸 蒼の道
クロアチア

いつか、やってみたかった旅。地球の鼓動に出会う旅。バスを乗り継ぎ、地球を回る。知らない国、知らない道。今回の舞台は、クロアチアです。アドリア海の輝きとギリシャ時代からの豊かな文化が融合した国として、古くからヨーロッパ人のあこがれのリゾート地。一方で1990年代に至るまで戦乱に苦しんだ歴史を持っています。美しいだけではないクロアチアの姿を知るバスの旅です。

 

   BS-TBS 地球バス紀行 人間の鼓動に出会う旅、一篇の旅物語...

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BSジャパン : 欧州 美の浪漫紀行2 〜ルーベンスの魂が息づく街 ベルギー・アントワープ〜

BSジャパン : 欧州 美の浪漫紀行2 〜ルーベンスの魂が息づく街 ベルギー・アントワープ〜 | Japan Now 2  地球のつながり方 旅の本編 | Scoop.it

欧州 美の浪漫紀行2 ~ルーベンスの魂が息づく街 ベルギー・アントワープ~
2011年11月1日(火) 夜8時00分~夜9時00分
絵画の巨匠ルーベンス、その成功の秘密や、アントワープのモードファッションなど、アントワープの歴史と今を巡ります。

 

ベルギー北部の街アントワープ。建ち並ぶギルドハウスが、貿易港としての歴史を今に伝えています。この街を拠点に活躍したのが、バロック絵画の巨匠ルーベンスでした。富と名声に満ちた生涯を送ったルーベンス。その成功の秘密とは。「フランダースの犬」でおなじみの祭壇画や彼の足跡を訪ねながら、新しくできたミュージアム「MAS」や近年注目されるアントワープのモードファッションなど、アントワープの歴史と今を巡ります。

 

 

  BSジャパン - テレビ東京系BSデジタル7ch - の番組紹介ページです。放送時間・放送内容・BSジャパンからのお知らせ等を掲載しています。...

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